いさぶろう、 しんぺい |
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肥薩線の人吉-吉松間は天下の難所。明治初期、国家の威信をかけた工事が行われ、鹿児島まで鉄道が接ながりました。旧鹿児島本線です。そのときの最高責任者だった2人、山縣伊三郎/逓信大臣と後藤新平/鉄道院総裁の名前が、この観光列車につけられました。列車の愛称は、下り吉松行きが「いさぶろう」、上り人吉行きが「しんぺい」です。普通列車で、停車駅は3駅、4駅目で終点です。2両または3両編成、一部自由席。@吉松(よしまつ) |
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車内には4人掛けボックスシートが並びます。このボックスシートは全て指定席です。乗り心地はよくありません。この列車は、ゆったり座って旅を楽しむものではなく、列車が走っているときは車窓を楽しみ、駅に停まったら外に出て歴史を楽しみます。 |
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各号車の車両中央に展望スペースがあります。ただし、椅子はなく、窓側にテーブルがあるだけです。ベンチシートが自由席ですが、1号車に自由席はなく、2号車の運転席背部に7席、3号車のトイレ横に6席あるだけです。もともと、運転本数の少ない路線ですので、自由席は地元の方への配慮と思われます。 |
足元から天井まで湾曲しています |
湾曲なしの普通の窓です |
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真幸駅には、列車の発車合図に使われた鐘が残っています。この鐘は、真幸=真の幸せから、「幸せの鐘」と呼ばれ、ここを訪れる観光客に人気です。鐘を鳴らす回数を書いた看板がありますが、4回以上鳴らすと不幸になるといわれていますので、くれぐれもご用心のほど(笑)。 |
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この付近は「矢岳越え」と呼ばれ、日本三大車窓の絶景を望むことができます。次に、肥薩線最長(2,096m)の矢岳第一トンネルには、人吉方に「天険若夷」、吉松方に「引重致遠」と書かれた石額が埋め込まれています。これは、「天下の険しい難所を平地のようにし」、「重い物を引き遠くに運ぶ」という意味で、最大の難所を克服した喜びが謳われています。 |
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右の写真は、トンネル上部にある石額を拡大したものです。石額には後藤新平の作、「引重致遠」と書かれています。乗車中の列車は「しんぺい」。そして、トンネルの反対側には、山縣伊三郎の「天険若夷」と書かれた石額があり、列車は「いさぶろう」です。 |
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大畑駅は、ループ線の中にあるスイッチバックの駅です。このような駅は、全国でここにしかありません。これは、肥薩線が、いかに、鉄道の難所であったかを物語っています。ループの曲率は300m、列車は車輪をきしませながら一周します。 |
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人吉は九州の小京都と呼ばれ、城下町であるとともに、古くからの温泉町でもあります。駅前に、城を模したからくり時計があります。日中の毎正時に、民謡「球磨の六調子」が流れ、人吉城の殿様が城下を見物するという物語が展開されます。 |
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撮影: 2005年11月、2012年11月 |